昨日は最勝寺へ行鉢(ぎょうはつ)に受けがいました
行鉢とは禅の食事ということで
禅宗ではどうやら毎日の食事を
作法にのっとり静かに無言で
行われているようです。
修行といえば修行だし
作法といえば作法で
それはまたそれで堅苦しくなりますが
日々の食事とは本来こういうものであると
精進料理だろうとそうでなかろうと
料理をいただく
食事をするということ
「いただきます」という言葉は
こんなことからかも?
と、しれされ知るにはいい行だと思います。
毎日でなくても時にはこういう
食事をいただく時間を作ることは
大切なことのように思います。